星の旅 - じぶんはいきるべきにんげんか。(fromまなめはうす)

なんだか、二つぐらい考えた事があるので二つに分けて書いてみる。

人は何かに頼って生きている

愛とか信頼って確かに必要だと思う。頼ること、頼られること、これによって人間生活は営まれているわけですし。自分は何にも頼っていない?それは本当?食べ物はどこから得ている?その食べ物を得るために何をしている?きっと、会社やバイト先を一定以上信用して働いて、その対価としてお金を貰って、そのお金で食べ物やその他の物を得ているはずだ。
自分は一人で生きていけるなんて傲慢に過ぎない。もちろん、友達なんて…とか親族なんて…と思って自分は一人でと考えてしまう時期がないとは言えないし、そうしう思考をたどる人はそんなに少なく無いと思う。でも、人は人が居ないと生きていけない。
本当に一人で生きている人、それは完全に自給自足している人間の事だ。人とも全く交流を持たずに、人から何をもらう事もなく全て自分で作ったり、獲ったりするわけだ。しかし、この生活を営むためには、食物がちゃんと育つという事が前提である。つまり、食物を育てる環境に依存しているのだ。人とは関わりを持たなくても、ここに依存関係がある。
人間は何かに頼らないと生きていけないんだ。

生への疑問とその解答としての宗教とか

じぶんはいきるべきにんげんか
この疑問の回答として宗教があるんだろうなぁ、と思う。宗教と言うのはこの疑問に解答を与える物。生きてていいんだよと、言ってくれる。更に、生きる方針まで示してくれる。とても便利なもので、思考の代替品である。そのうえ、長い間あったものなので、人が一から考えるよりもはるかに洗練された物だ。そして、その思考を得る事で生への疑問を持つことがなくなってしまうのではないだろうか?
宗教を信仰していない人はダメだとか、弱いだとか、信仰してる側はそういう事を言うけれど、むしろ、この悩みから逃げた弱い人達なのではないかと。この悩みには自分で解答を見つけていきたいと思う。自分の解答に疑問を持つこともあるだろうけれど、そうしてまた悩むのもいいのではないだろうか。
もちろん、さっき書いたとおり宗教は長い間考え抜かれた物で、洗練された物だ。それらを参考にして悪い事などない。部分的に似たような考えになる事もある。宗教や哲学や既にある考えを広く取り入れた上で自分の解答を出していけばいい。
と、ここまで書いて思ったけど、宗教を信仰している人だって宗教の方向性に疑問を持つことがあるかもしれないな。ただ、どうしても思考が偏りやすい気はするけど。
とりあえず、私の中での結論は無宗教である事。これは私の中で揺るがない物。