マスコミはなぜコミュニケーションの中心から消えたのか インターネット-最新ニュース:IT-PLUS(from:明日は明日の風が吹く)
報道の現場には「公務員や大企業はバッシングしても当然、叩き得」といった考え方がある半面、国家に対する弱者である「市民」を批判することはタブー視されている。このような「反権力」「市民派」といった紋切り型の日本におけるジャーナリズムそのものが、中央集権的な近代構造に寄りかかった古いパラダイムの裏写しでしかない。マスメディアはいまだに想像の共同体にとらわれている。
これからは代弁ではなく共感(共鳴)がキーになる。インターネットの構造そのものが新たなパラダイムを内包しており、紙が読まれないからネットに進出すればいいと短絡的な考えでは上手くいくはずもない。近代の終焉というパラダイムの変化は、組織に埋もれた顔の見えない記者が「我々」を代弁し国家に物申すといった従来のフレーム、ジャーナリズムのあり方そのものを問うているのだ。
この辺が大事。今のメディアは考え方が古い。時代にあった新しい形を模索しなければならない。
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既存メディアの重要性。
「興味は持って無かったが読んでみたら興味を持つ」ような内容は拾えない。それは取捨選択された新聞という纏め形式の物だからこそ可能になるのだろう
そして、これからどうあるべきか。
このネット時代に下らない誘導や騙しをやろうとするマスコミ側が、如何に不利な状況にあるか、それを理解して共存する方法を本気で考えなくては、更にマスコミ離れは続いていくと思う。
私も新聞やテレビにはネットの文字によるニュースでは得られにくい情報を得られることが出来ると思うので共存する方法を考えて欲しい。