デジタルデータを所有することの意味 - novtan別館
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確かにダビング10はいい方法だとは思えないですね。
MIAUでもシンポジウム行ってましたし。
MIAU : シンポジウム「ダビング10について」のご報告
ITmedia +D LifeStyle:「ダビング10」とは何だ――MIAUがシンポジウム (1/2)
ダビング10に関する勉強会、ユーザー組織のMIAUが開催:ITpro
この話があんまり燃えないのは、ダウンロード違法化ほど困るわけじゃないのと、コピーワンスよりはましにはなっているからだと思います。
デジタル時代において、どのように権利者に利益をもたらすかを考えなくてはならないのですから…
これに関して権利者側中心に考えたのがダビング10だったり、ダウンロード違法化だったりその他もろもろの制度ですよね。私は今の著作権管理の方法から変えなければいけない事態が起きていると思ってるのですが。スマートかスマートじゃないかにこだわらず既にある物を変えるのが面倒だとか、ただ制限をかけるのが楽だとかしまいには制限かけて当たり前と思ってるのが権利者・管理者側にはあるようで。なかなか難しい問題ですね。
ちなみに、この後ろにはデジタルデータが扱うのが簡単になっていった話とか、コピーコントロールの話になってます。その辺は省略。
後半の話の方がメイン。たぶん。
ここで問題になるのが、私的複製。私的複製は著作権法上も認められた利用者の権利では有ります。しかし、デジタルデータと私的複製の概念はとても親和力がありそうで、実は相反するものなのではないか、とふと思ったのです。
権利と私的複製の自由が結びついているのは現状の技術的な実装の問題であり、今後もそうである必然性というのはあまりないのかもしれません。
単純にいうと、「デジタルデータのコピーはバックアップでしかない」という話。
結びつくべきは、コンテンツとメディアではなく、コンテンツと人
確かに、既存の考え方を改めなきゃならないんじゃないかと思いました。この記事の後半を読んでいて改めて気づかされました。
この記事はもっと人気が出てもいいはず。
で、ブクマコメを見ていて気づいた
2008年01月22日 memoclip copyright コンテンツと人。製作者とファンは結びつくのかな。
(はてなブックマーク - デジタルデータを所有することの意味 - novtan別館)
製作者とファンのつながりも大事ですよね。これに関しては、コンテンツと人がつながっても今まで通りの関係が築けるとは思いますが、考えておくべきですよね。念のため。